
舞台作品
加藤洋一が制作したミュージカル & オペラ作品
原作(一部除く)、脚本、作曲、編曲、演出、衣装に至る全て加藤洋一によるものです。
ミュージカル『泣き虫ナギと魔法のキャラメル』
ミュージカル『星とたんぽぽ~マルアエと黄泉の国』
歌劇『伏姫』
ミュージカル『桜さくLa』
ミュージカル『シェイクスピア』
ミュージカル『魔法の赤い靴』
⭐️★★★★★★★★★★★★★★★★⭐️
ミュージカル
泣き虫ナギと
魔法のキャラメル
原作・脚本・作曲・編曲 加藤洋一
2018年制作

森の中で迷子になってしまった男の子の不思議な体験。生きる強さと勇気、喜び、そして成長する姿をえがく。子供から大人に送るメッセージが込められた作品。
【劇中歌】
- ひとり
- タンポポ咲いたよマッキッキ
- 戦争の歌
- 魔法のキャラメル
- 夢おいかけて
他
⭐️★★★★★★★★★★★★★★★★⭐️
ミュージカル
星とたんぽぽ
~マルアエと黄泉の国~
原作・脚本・作曲・編曲 加藤洋一
初演 2018年2月3日 (土)
千葉市美浜文化ホール メインホール
視覚障がい者は音声ガイド無しで理解でき、晴眼者と共に楽しめるバリアフリー・ミュージカル。
クラウド・ファンディングの支援で実現。クラウド・ファンディングは、募集から10日間で目標額に達した。
Trailer
「黄泉の扉」
主人公マルアエが息子の魂を黄泉の国から取り戻そうと旅立つ時に歌います。
「マルアエとレイ」
隣国ハワイと日本の密接な繋りを、日本人によるハワイアン・ミュージカルとして制作しました。
「エレジー、愛する我が子」
この作品はハワイの神話がベースです。マルアエの息子は神様に命をとられてしまいます。
「黄泉のダンス」
マルアエが息子の魂を救い出そうと黄泉の国へ。しかし悪霊たちが行く手を阻みます。
「星とたんぽぽ」
作詩は金子みすゞさんです。彼女は1930年に26歳という若さで自ら命を断ちました。
[太陽と海と]
マルアエと恋人は結婚し二人の間に男の子が生まれます。
⭐️★★★★★★★★★★★★★★★★⭐️
⭐️★★★★★★★★★★★★★★★★⭐️
ミュージカル
桜さくLa
東日本大震災復興支援ミュージカル
《あらすじ》
2012年4月、東日本大震災から一年が経過した。
東京では桜が満開となり花見客で賑わっていた。
孤独な眼差しの少年が一人、桜を見上げている
。名前は「ハル」福島からの被災者。
ハルの母「咲」は福島で看護師として働いていた。
看護師としての使命を果たすため、福島原発の放射能汚染により息子とは離れて暮らした。
ハルは東京の学校に通う。
放射能の影響を恐れたPTAの偏見、生徒のイジメ、大槌からの転校生(津波にのみこまれて家族全員は行方不明)
ハルと咲、二人にはどんな未来が待ち受けているのか?
毎年、日本全国で桜は咲く。
桜を見上げる日本人の笑顔には生きる力が溢れている。
《このミュージカル制作にあたって》
※ 東日本大震災を我々は後世に伝えていかなければならない
※ 被災者に対する偏見を取り除くこと
※ 反原発や反政府運動を目的としない
※ 命の尊さ、日本人としての尊厳を世界に伝えて行きたい
《公演にあたって - 2012/11/25》
2011年3月、「桜」という歌が生まれました。
東日本大震災を体験したことによって生まれた曲です。
その後、沢山の人々がこの曲を歌ってくれました。この歌は何故うまれたのか?
それを、このミュージカルでお伝えできればと思います。
震災後、いくつかの報道に心が強く揺れ動きました。
ひとつは読売新聞に掲載された記事です。
原発事故発生の際、避難勧告地区の病院で働いていた看護師へのインタビューでした。
医療従事者が避難することは病人を見捨てることになる、苦渋の選択です。もうひとつ、被災地からのテレビ報道です。
中学生ぐらいの女生徒でした。家族を津波が襲い行方不明になってしまいました。
彼女は高台で叫びました。「お母さーん、お父さーん」 放射能に対する不安、誤解、偏見、イジメなどの報道にも心を強く打たれました。
私の伯母が今も福島で生活をしております。私の父は福島出身です。
福島をはじめ今も被災地では多くの人々が苦しい生活をしています。
私は、生きるということは「笑い」と「涙」が必要だと思います。
楽しめるミュージカルを制作することが日本人に必要だと感じています。
皆様がそんな想いで元気になっていただけたら幸いです。
第1楽章 The season of cherry blossoms
第1楽章 風の吹くまま、気の向くまま
第4楽章 Intermezzo
第4楽章 Intermezzo / SYDホール
第4楽章 桜 / シアターホール
⭐️★★★★★★★★★★★★★★★★⭐️
ミュージカル
シェイクスピア
シェイクスピアとロバート・グリーン
天才劇作家二人の知られざる物語
シェイクスピア生誕450年記念企画 (1564 - 2014)
《ストーリー》
1591年、ロンドン。国の繁栄は貧困と政情不安を生み出していた。
周期的に襲ってくるペストの流行、宗教的な混乱、人口の急激な都市増加、下水道が完備されない不衛生な街並み。
混沌とした時代の中で大衆の興味は劇場に向けられる。
常設劇場が立ち並び、芝居は人気を博していった。
各劇場は新作品を次々に上演した。観客動員数が売上となり役者達の生活を支える。その為には観客に受ける作品を書く劇作家が重要となる。
人気の劇作家はもてはやされ注文が殺到した。
ウィリアム・シェイクスピアも人気を得て知名度を上げていった、
が、それが売れなくなっていった作家達の妬みを買うこととなった。
芝居自体に反宗教的、反政治的な恐れを抱く者達の圧力もあって、シェイクスピアや劇場にとっては荒波を航海するような日々であった。
シェイクスピアの名前は歴史に深く刻まれている。謎の多い人物である。
いつロンドンに出てきたのか、作家としてのスタートは。
シェイクスピアと関係の深い人物で歴史から忘れ去られた人物がいる、
秀才劇作家ロバート・グリーンだ。
物語はロバート・グリーンの登場から、1592年グリーンがペストにかかって死ぬまで。
シェイクスピアを知る上でロバート・グリーンの存在が重要となっている。
劇場に対する作家、役者、民衆の関わり方は、われわれ現代人が劇場や舞台芸術に何を求め未来へ向けてどう展開していくのかと重なり合う。
物語の最後に歴史の闇に消されてしまった謎が解き明かされる。
《解説》
シェイクスピア(1564-1616)は作家として、
役者として劇場経営者として大成功を収めた。
彼の記録は450年過ぎた今でも多く残されている。
だが1585-1592の記録が残されていない。
「失われた7年間」あるいは「空白の7年間」と呼ばれている。
この時期にシェイクスピアは故郷ストラッドフォードを出てロンドンに移り住み、役者として、作家として有名になっていった。
「空白の7年間」に終止符を打った伝記上重要となる記事がある。
それはロバート・グリーンの書いたパンフレットであった。
シェイクスピアを非難するようにも受け取れる内容だが、出版されたのはグリーンの死後。
多くの研究家達はグリーンのシェイクスピアに対する嫉妬ととらえた。
しかし、秀才、努力家で作家としての強い情熱をもったグリーンがシェイクスピアを嫉妬する程の対象人物ととらえていたのか疑問である。
むしろシェイクスピアの方がグリーンを羨望していたのではないか、と推測するのも面白い。
グリーンの高い教養と情熱の強さ、そして自由な生き方をシェイクスピアは羨んでいたのかもしれない。
Robert Greene "Great London"
Margaret "If my heart had wings" 雲は流れて
"O mistress mine"
Instrument "Intermezzo"
Robert Greene "Eternal Sorrow"
"Rosemary Theme"
⭐️★★★★★★★★★★★★★★★★⭐️
ミュージカル
魔法の赤い靴
越谷レイクタウン 2010年2月11日
